更新日:2022年6月28日
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田島図書は、もと豊臣家の家臣で堀田図書英丈と名乗ったと伝えられています。関が原合戦のあと、西一之江村大杉の田島庄兵衛方に寄寓し、田島図書と改名しました。慶長11年(1606)のことであったといわれています。
図書は、一之江新田を開発しました。城立寺は、寛永5年(1628)10月に一族の甲冑を埋めて私領を寄進して創建したといわれています。寛永20年(1643)12月25日没、法名を「正善院日慶」といい、墓石は石造釈迦如来坐像の右奥にあります。背面に、33回忌供養の追刻があります。
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