更新日:2022年6月28日
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筆子塚とは、江戸時代に庶民の教育機関であった寺子屋や家塾で、読書算術や実務教育を教わった教え子が、師匠が亡くなった際にその遺徳を偲んび、自分たちで費用を出し合って建てた墓や供養塔のことです。
賢性院日是大徳は、文政6年(1823)寂。感応寺歴代住職ではなく、生前の姓名、事績ともに不明ですが、感応寺の過去帳に「当山塔中是林坊」と書かれており、感応寺の塔中であった是林坊において筆子を指導したと伝えています。なお是林坊は安政2年(1855)の地震で失われています。墓石の側面に「筆子中」とあり、その反対側に「夢の世や、二十余年を月の露」の句が刻まれています。
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