更新日:2022年6月28日
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真言宗の基本教典『金剛頂経』と『大日経』を図にあらわしたものが金剛界曼荼羅と胎蔵界曼荼羅で、この一対を両界曼荼羅とよんでいます。
文政2年(1819年)、真言宗豊山派昇覚寺の本山である大和(奈良県)長谷寺所蔵の両界曼荼羅を模写したものです。昇覚寺6世鑁慶は、文化6年(1809年)に引退し、その後関西を遊歴しています。長谷寺の両界曼荼羅の版木制作の発願主となったのも、この遊歴中のことで、この縁で模写が実現したと思われます。模写には、地元東宇喜田村の画工も加わっています。
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