更新日:2022年6月28日
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筆子塚とは、江戸時代に庶民の教育機関であった寺子屋や家塾で、読書算術や実務教育を教わった教え子が、師匠が亡くなった際にその遺徳を偲び、自分たちで費用を出し合って建てた墓や供養塔のことです。
江戸時代、浄興寺の歴代住職は寺子屋を開いて、村人の指導にあたりました。そのため筆子たちが、報恩感謝のために筆子塚を建てました。声誉は浄興寺二十六世、随誉は二十七世です。塚は高さ2メートル余りの長卵形の無縫塔(むほうとう:主に僧侶の墓塔として使われる石塔)で、右側には「文政十二己丑年十二月十四日」、正面には「二十六世、聲誉上人、随誉上人、二十七世」とあり、台座には「筆子中」と刻まれています。ここから文政12年(1829)に二人を慕う筆子等によって建てられたことが伺えます。
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