更新日:2022年6月28日
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筆子塚とは、江戸時代に庶民の教育機関であった寺子屋や家塾で、読書算術や実務教育を教わった教え子が、師匠が亡くなった際にその遺徳を偲び、自分たちで費用を出し合って建てた墓や供養塔のことです。
永福寺は真言宗豊山派の古刹で、はじめは長福寺と称しましたが、9代将軍の幼名長福丸を憚って永福寺と改称しました。頼尊は永福寺住職で、明和3年(1766)に亡くなっています。
これは方形の墓石で、頂きに地蔵菩薩立像を載せています。総高は約183センチメートル。墓石の側面には「諸旦方筆弟子」と刻まれており、在家の檀家の子弟の筆道師匠を勤めたことが窺えます。筆道師匠としては、区内でも古いものです。
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