更新日:2022年6月28日
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筆子塚とは、江戸時代に庶民の教育機関であった寺子屋や家塾で、読書算術や実務教育を教わった教え子が、師匠が亡くなった際にその遺徳を偲び、自分たちで費用を出し合って建てた墓や供養塔のことです。
浄土宗法養寺は、歴代住職が寺子屋を開き、周辺の子弟に読み書きを教えていたことから、「こどもでら」と呼ばれていました。教場としていた庫裡は明治39年(1906)に焼失しましたが、幕末から明治初頭にかけて住職であった22世厳誉連瑞上人のころは、東小松川村・松江村・瑞江村一体から子弟が通っていたと伝わっています。
戒誉上人は法養寺住職で、享和2年(1802)に亡くなりました。石塔には「読書手跡人」とともに「露の身のうへなんことをいつしか□かねて心におかぬ日はなき」の歌が刻まれています。
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