更新日:2022年6月28日
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筆子塚とは、江戸時代に庶民の教育機関であった寺子屋や家塾で、読書算術や実務教育を教わった教え子が、師匠が亡くなった際にその遺徳を偲び、自分たちで費用を出し合って建てた墓や供養塔のことです。
青柳三酉は文久2年(1862)長島村で寺子屋「長運堂」を開業し、読み書きを教えました。平井の田口初右衛門の開業より50年ほど後れますが、農家を借りて開業していた寺子屋としては、古いもののひとつといえます。明治に入ってからも教授を続け、明治6年(1873)からは家塾として引き続き教授にあたり、同12年(1879)9月29日に68歳で亡くなりました。家塾の開業時の生徒は、男子22名、女子14名の36名でした。この墓は、背面に「本邨筆子中」とあり、三酉没後にその生徒たちによって建てられたと考えられます。
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