更新日:2022年6月28日
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筆子塚とは、江戸時代に庶民の教育機関であった寺子屋や家塾で、読書算術や実務教育を教わった教え子が、師匠が亡くなった際にその遺徳を偲んび、自分たちで費用を出し合って建てた墓や供養塔のことです。
法印中岳は萬福寺の住職で、近村の子弟の教育にあたりました。塚は高さ1メートル余りの長卵形の無縫塔です。正面に「法印中岳」、右側面に「文政元戊寅」、左側面に「十月十日寂」、台座に「筆子中」とあり、文政元年(1818)に亡くなった中岳を慕う筆子等によって建てられたことがわかります。
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