更新日:2022年6月28日
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筆子塚とは、江戸時代に庶民の教育機関であった寺子屋や家塾で、読書算術や実務教育を教わった教え子が、師匠が亡くなった際にその遺徳を偲び、自分たちで費用を出し合って建てた墓や供養塔のことです。
参道脇にあり、天保2(1831)の日蓮聖人550遠忌の供養塔台座に、区内旧村8ヶ村の「惣旦中」とともに「筆子中」がこれを建てたと刻まれています。笹ヶ崎、上篠崎、下篠崎、下小岩、鹿骨、松本、谷河内、本一色の各村です。要法寺檀家は笹ヶ崎村だけだったといわれており、さらに広い範囲から生徒が通ってきていました。塔身には当時の住職25世日詳大徳の名が刻まれています。
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