遠い夢 未来へのささやき まちの鼓動 ふるさとの原風景

更新日:2022年6月28日

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新川

江戸川から古川の流れを経て、三角で新川に入り、西へ中川に至る流路は、もとは船堀川とよばれていました。家康が江戸へ来て、江戸の城下町づくりが始まると、この流路は行徳の塩を江戸に運ぶために重要となり、小名木川が掘られ、さらに寛永6年(1629)幕府は、船堀川の三角以西を掘り拡げるとともに、三角から江戸川までは新たに陸地を一直線に開削し、もとの川を古川、新しい川を新川と呼ぶようになりました。新川は、のち江戸幕府の発展と共に、単に行徳の塩だけでなく、舟運の重要な川となりました。利根川の東遷、江戸川の改修によって、利根川-江戸川-新川-小名木川のルートは、北関東や東北から江戸へ物資を運ぶ重要な役割を果たすようになりました。明治に入ってからは、有名な川蒸気船通運丸が就航したほか、江戸近郊の村々と江戸を結ぶ通船や物資を運ぶ船が新川を行き交いました。
現在の新川は、全長約3キロメートル、東水門から導水し、西側の排水機場で排水、水質浄化をはかり、水位を一定に保っています。西水門はその役目を終えて、一部の柱を残して撤去されました。現在、両岸の護岸上部は撤去され、テラスや散策路等ができ、千本桜も整備され区民に親しまれています。また、全国で初めて河川の下に地下駐車場が作られ利用されています。平成19年3月、かつての西水門の手前に西水門橋がかけられ、便利になりました。

  • 江戸川区指定史跡
  • 江戸川5丁目29先、船堀2丁目1先、東葛西1丁目48先(新川東水門)
  • 昭和61年2月12日 告示

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