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更新日:2022年6月28日

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銅造観音菩薩立像

像高33.8センチメートルの銅製観音菩薩立像で鎌倉時代後期の作と考えられます。当寺本尊阿弥陀如来立像の左脇侍像で、当初は一光三尊の善光寺式阿弥陀三尊像の脇侍像として造立されたとみられます。一光三尊は、大きな光背の前に中尊と脇侍を配する形式で、6世紀頃中国で流行し、日本にも伝わったものです。
頭部と体部を一鋳で仕上げ、両腕を別鋳してアリホゾ差し(腕部から作り出されたほぞにより体部に接続)をしています。宝冠は筒型で八角形。正面に観音菩薩の標識である化仏立像、他の七面には唐草文様を表します。頭髪は地髪部も髻部もともに毛筋彫。天衣は両肩にかかり、左右ともに上前部に沿って垂下して両肘の内側に巻きこむようにして消えています。裙は正面中央で右前に打ち合わせ、前後左右の計4カ所で折り返します。腰布は背面をわたり正面裾の折り返しの下線に入り込みます。直立して正面を向き、両手は胸前で右手を上にして重ねる形です。
長野市の善光寺の秘仏本尊は欽明13年(552)に百済よりもたらされた一光三尊の阿弥陀如来像と伝えられています。鎌倉時代に源頼朝や北条氏による善光寺再興がなされて以降、関東御家人を中心に善光寺阿弥陀三尊像に対する信仰が盛んになったこともあり、その模像が特に13世紀後半以降の東日本を中心に多く造られました。善光寺本尊を模して造られた阿弥陀三尊像を善光寺式阿弥陀三尊像とよんでいます。形像の特徴は、中尊像は左手の第2・第3指を伸ばす刀印と呼ばれる印を結び、両脇侍像は山型あるいは筒型の宝冠を着け、胸前で上下に重ねた掌に珠を抱くような印を結んで直立する姿が特徴的です。現存最古の遣例は、建久6年(1195)銘の甲府善光寺の銅造阿弥陀三尊像です。鎌倉時代後半から江戸時代まで、各地で模像が作られました。

  • 江戸川区指定有形文化財・彫刻
  • 北小岩5丁目27番16号 十念寺
  • 平成18年3月28日 告示

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