松原良水彩画展 江戸御府内八十八カ所をめぐって第1弾展示作品
四国八十八カ所になぞらえて、江戸御府内(江戸とその周辺)の八十八カ所をめぐる(江戸)遍路ができたのが宝暦年間(1751年から1764年)というから、およそ250年以上の歴史があるのが「東京遍路」です。その八十八カ所を、2年余をかけて街歩き感覚でめぐったという松原良氏が描いた作品です。
八十八カ所全てではありませんが、今の東京に遺る江戸の名刹。その歴史に思いを馳せてみてください。
第1弾(令和3年7月1日~10月24日)展示作品
第1番「高野山東京別院」(高輪)
和歌山の高野山金剛峯寺(本山)の座主がここの住職を兼ねているという。やはり、何といっても1番というのは特別。
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第84番「五大山明王院」(三田)
鎌倉時代創建という名刹。江戸時代から厄除け弘法大師の寺として知られている。寺宝の鼠心経(空海筆と伝わる)は珍しい。
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第8番「海岳山長遠寺」(西馬込)
昔から等々力の満願寺、六郷の宝幢院とともに荏原郡の三本寺とよばれた。平安時代創建の古刹で現在地に移ってからでも五百年余。
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第62番「鶴亭山威光院」(浅草)
太田道灌の時代からの来歴を持つお寺。利休流茶道の十九世宗家という伝統を守っていて、それを伝えるため茶道教室を開いている。
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第72番「阿遮山不動院」(浅草)
本尊の不動明王は奈良時代の良弁僧正作と伝えられている。江戸時代初期に八丁堀に寺地を与えられ、間もなく現在地に移った。
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第43番「神勝山成就院」(浅草)
江戸時代には百観音のお寺といわれ、実際に西国三十三観音、坂東三十三観音、秩父三十四観音合わせて百体の観音石像があった。
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第60番「摩尼山吉祥院」(浅草)
山岡鉄舟の揮毫による中興開祖の供養塔がある。豊かな緑に自然石や灯籠などが配置され、小公園のような趣きさえ感じられる。
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第78番「摩尼山成就院」(浅草)
ここも植栽が見事。池波正太郎の『鬼平犯科帳』中の「夜鷹殺し」ではこのお寺と隣のお寺の間の路地に犯人が逃げ込んだとされる。
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第61番「望月山正福院」(浅草)
開基・望月貞久の子孫が享保三年に見た夢に由来する稲荷をこのお寺の柳の木の下に遷座したため、柳稲荷とよばれるようになった。
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第51番「玉龍山延命院」(浅草)
室町時代の開基、明暦の大火のあと現在地へ移った。延命地蔵と弁財天への信仰が篤い。映画「空海」はここの住職が深く関わった。
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第82番「青林山龍福院」(浅草)
葛飾北斎などと並ぶ天才画家で、木版浮世絵師最後の人といわれた小林清親ゆかりの寺で墓もある。門前にはその説明板もある。
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第45番「広幡山觀蔵院」(浅草)
近代的なすっきりとした装いだが、創建は江戸時代の慶長十六年と古い。三越のライオン像の作者・山田真山による聖観音像がある。
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第4番「永峯山高福院」(目黒)
高野山金剛峯寺の創建時に弁財天を祀る塔頭として建立され、江戸初期に大崎に移った。目黒駅のすぐそばだが、品川区上大崎。
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第33番「医王山真性寺」(巣鴨)
巣鴨のとげぬき地蔵へ行った人には見覚えのあるところ。江戸六地蔵第3番でもあり、大きなお地蔵様がある。
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第25番「六所山長楽寺」(日野)
元和六年の創建。新宿の角筈から昭和三十四年にここへ移った。その由来を記した石碑の隣に文政六年の銘がある手水鉢がある。
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第29番「大鏡山南蔵院」(高田)
開山は室町時代と古い。三遊亭円朝作「怪談乳房榎」ゆかりの寺として知られるほか、彰義隊士の首塚、花籠など力士の墓もある。
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