更新日:2025年7月30日
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2025年7月30日 郷土資料室企画展「日誌が語る学童疎開―江戸川区から湯野浜へ―」開催中
戦後80年 疎開先の生活から平和の大切さ学ぶ
「江戸川区郷土資料室(松島1丁目)」では、今年で戦後80年となることを受け、集団学童疎開で寮母や寮長が残した日誌をもとに疎開先での生活を紹介する企画展「日誌が語る学童疎開-江戸川区から湯野浜へ-」を、10月12日(日曜日)まで開催しています。入場無料。
第二次世界大戦中の1944年、東京への空襲が激しさを増し、区内の国民学校に通う児童は、山形県に集団疎開することになりました。教員や寮母らとともに旅館や寺などに宿泊し、終戦後しばらく経った1945年10月までを過ごしました。区郷土資料室は、戦後80年の節目を迎えるにあたり、戦時中を懸命に生きた人々への理解を深めるとともに、平和の大切さを感じてもらおうと、戦争を主題とした企画展を初めて実施することにしました。同企画展では、「寮母日誌」と「寮日誌」からわかる疎開の実態を伝えます。
会場では、「疎開前夜」、「日誌は語る」、「疎開爾後」の3部構成で展示しています。「疎開前夜」では、戦時下の区内の被害状況や、学校ごとの疎開先などをパネルで紹介。24回もの空襲で800人以上の方が亡くなるなど大きな被害があったことや、1944年の8月から9月にかけて、区内の国民学校24校5,111人の児童が集団疎開をしたことを解説しています。山形県鶴岡市湯野浜地区で小松川第五国民学校(現在の区立平井東小学校)の児童とともに過ごした寮母や寮長らが残した日誌も展示しています。「日誌は語る」では、日誌に記された記録をもとに、疎開先での生活を時系列で説明。1945年3月10日の東京大空襲を機に第二次集団疎開が始まったことや、長引く疎開生活で体調を崩す児童が多く見られたことなどを、日誌の内容を引用しながら伝えています。また、1944年9月と1945年6月の献立表を比較したパネルからは、戦争終盤にかけて物資不足が顕著になったことがわかります。「疎開爾後」では、区内に戻った児童が成人後に鶴岡市を訪れて市民同士の交流を深め、1981年に両都市が友好都市盟約を締結したことなどを伝えています。
企画展を担当した区郷土資料室学芸員の太田葉子(おおたようこ)さんは、「子どもたちは、同年代の児童が学童疎開をしたことを知って何を感じるでしょうか。また、親世代は、自分の子どもを疎開させることになったらどんな気持ちになるのでしょうか。『自分ごと』として捉えて、平和の大切さを考えるきっかけにしてもらいたいです」と話しています。
江戸川区郷土資料室企画展「日誌が語る学童疎開-江戸川区から湯野浜へ-」
【日時】7月19日(土曜日)~10月12日(日曜日) 9時~17時 (注)休室日:8月3日、8月11日、9月15日、9月23日
【会場】江戸川区郷土資料室(江戸川区松島1丁目38番1号グリーンパレス3階)
【入場料】無料
【関連イベント】担当学芸員によるギャラリートーク(8月6日・8月9日 11時~11時20分)
【問合せ】江戸川区教育委員会事務局教育推進課文化財係 電話:03-5662-7176
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