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更新日:2026年8月7日

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鶴岡で過ごした学童疎開の日々(野木 矩男)

【証言者】

野木 矩男(ノギ ノリオ)氏(当時東京都江戸川区在住、第二松江小学校へ通学)

私は昭和10年生まれで、戦時中は第二松江小学校に通っていました。当時、私たちは山形県へ学童疎開に行きました。今になって振り返ると、当時の記憶は鮮明であり、あの時代を生き抜いた体験は、今でも自分にとってかけがえのないものとして心に残っています。

集団疎開で山形へ

当時、国の方針として「小さい子供たちは疎開させた方がいい」という決定がありました。東京にいると爆撃されるかもしれないから、田舎へ疎開しようというものです。江戸川区の子供たちは、だいたい山形県の方へ疎開しました。疎開には、親戚を頼る「縁故疎開」と、国によって場所が割り当てられる「集団疎開」の二通りがありました。私の場合は田舎に親戚もいましたが、親が「みんなと同じように苦労してきなさい」という方針だったこともあり、兄と一緒に集団疎開へ行きました。鶴岡へ向かう夜行列車の中でのことはよく覚えています。途中の駅では、地元の皆さんが夜中にもかかわらずお茶や食べ物を用意して待っていてくれました。「学童疎開の子供だからかわいそうに」と配給してくれた優しさに、先生方も涙していましたね。

鶴岡での生活

私たちは湯田川温泉の「大國屋旅館」というところにいました。大きな旅館ではないので、学校のグループごとに近隣のいくつかの旅館に分かれて生活していました。朝は旅館のそばにある由豆佐売神社(ゆずさめじんじゃ)へ、みんなで並んで参拝に行くのが日課でした。その後、朝食をとり、午前中は学校の勉強。午後は旅館の中で過ごすという生活で、農作業を手伝うなどの作業はありませんでした。食事も三食いただくことができ、山形はお米もおいしかったのでありがたかったですね。終戦直後は一変して、食べるものはかなり悪くなりました。お米の代用食として豆や芋を食べ、それだけでは足りないので、山に行って山菜取りもしました。ワラビやゼンマイを採ってくるのですが、きれいに水で洗ってアクを取るなんてことはできませんから、真っ黒なまま食べていました。戦争当時の仲間内には、つらくて東京へ逃げ帰ってしまう子もいましたが、私は兄と一緒だったこともあり、それほど孤独や悲しさを感じることはありませんでした。

先生との絆と、地元の子供たちとの交流

お世話になった先生方は、時折入れ替わりもありましたが、皆さん本当に親身になってくださいました。夜寝るときに子守唄を歌ってくれたり、お風呂に入れてくれたりした記憶は、今でも温かい思い出として残っています。地元・湯田川小学校の子供たちとは、雪合戦をしたりして遊ぶ機会もありました。普段はあまり交流がなかったのですが、こうしてふれ合った時間も大切な思い出です。また、温泉の湯の流れるコンクリートのところでクルミを磨いたり、自然の中で遊んだことは、物がない時代ならではの工夫でしたね。

「戦争に負けた」日の記憶

終戦の日のことは、今でもはっきりと覚えています。旅館から歩いて5分ほどの大通りに、全ての旅館の児童が集められました。そこで玉音放送(昭和天皇が国民に終戦を伝えたラジオ放送)を聞いたのです。そこで「戦争に負けたんだ」ということが分かり、先生方が下を向いて涙を流していた姿が印象に残っています。当時はまだ子供でしたから、それがどういうことなのか、すぐには理解できませんでしたが、後からじわじわと実感が湧いてきました。東京に帰ってきたとき、何もない焼け野原になっていて、その衝撃は忘れられません。

戦後、故郷へ戻って驚いた「共学」

戦後、学校が再開されて驚いたのは、男女共学になっていたことでした。それまでは男女別々の教室で授業を受けていたので、同じ教室で女の子と一緒に勉強することには少し戸惑いを感じましたね。家に帰ってきてからの生活ですが、当時は配給制度もあり、一升瓶にお米を詰めて精米するなど、それなりに工夫をしていました。ただ、飢えて死ぬような思いをしたという記憶は、幸い私にはあまりありません。兄弟全員が無事に生きていたことは、当時の情勢を考えれば本当に奇跡的だったと思います。

今、子どもたちに伝えたい「幸せ」の意味

戦後、私は当時錦糸町の仮校舎だった安田学園へ進学しました。振り返ってみれば、学童疎開での経験は、私にとっての「宝物」です。物を大切にすること、人に優しくすること、共同生活を送ったこと。そうした経験のおかげで、今の自分が形成されたのだと感じています。今の世の中は食べ物に不自由なく、贅沢になりすぎているようにも見えます。戦時中、親元を離れて苦労したからこそ、今の平和な暮らしがどれほどありがたいものか、身に染みて分かります。今の子どもたちには、今の幸せを当たり前と思わず、大切に生きていってほしいですね。苦労を知ることは、人間としての成長につながるのだと、私はそう信じています。

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このページは総務部人権・男女共同参画推進センターが担当しています。

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