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更新日:2020年12月1日

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葛西沖 vol.5 進行する地盤沈下と葛西海岸堤防

CCBY 但し、画像データは除きます

 

 

葛西の地を守る葛西海岸堤防

葛西沖から襲ってくる高潮に、江戸川区、特に葛西地区は苦悩する歴史がありました。高潮は家屋への浸水被害のみならず、農作物に対する塩害被害をもたらしました。その高潮から葛西の地を守るためにあったのが「葛西海岸堤防」です。
昭和24(1949)年、キティ台風による高潮で区内各所の堤防が決壊し、区民の3分の1に当たる6万2千人が罹災(りさい)者となる浸水被害を受けました。この甚大な被害を受け護岸高AP+5.0〜6.0メートル、延長約4461メートルの堤防が昭和26(1951)年に着工され、昭和32(1957)年に完成しました。


葛西海岸堤防

海岸堤防のかさ上げが続く

太平洋戦争後、日本は工業化を進め、高度経済成長を果たしてきました。その反面、地下水のくみ上げや天然ガスの採取によって地盤沈下が加速し、区内では1年で約24センチの沈下を記録する箇所もありました。同時に堤防も沈下し、区内にも海面より低い海抜ゼロメートル地帯が生まれたのです。この地盤沈下は、昭和36(1961)年の地下水揚水規制、昭和47(1972)年の天然ガスの採取停止により、ようやく収まります。
また、昭和34(1959)年には、伊勢湾台風による高潮で名古屋地方が甚大な被害を受けました。「もし東京が同規模の高潮に襲われたら、都区内面積の47パーセントが水没、300万人以上の人々の生命・財産が失われる」という予測が出されたことなどを踏まえ、東京都は高潮対策事業として「緊急3か年計画」を策定しました。この計画により昭和38(1963)年から葛西海岸堤防の高さをAP+6.4~7.5メートルにかさ上げする対策工事を延長4444メートルにわたって実施し、昭和42(1967)年に完了しました。
当時の葛西海岸堤防は、地元住民などからの「高潮から区民を守ってくれた堤防を残してほしい」との要望を受け、現在もその一部が清新町ランプ(中央環状線)出口付近に保存され、その高さを現地で実感することができます。


葛西海岸堤防跡。断面には当時の堤防の高さと完成時期が記されている

まちを守るために

この繰り返されるかさ上げにも限界があり、安心して安全に暮らすための新たな対策が求められました。
そこで、葛西沖開発によって、街全体をAP+5.5メートルまでかさ上げして埋め立て、また葛西臨海公園には、東西に尾根のように続く小高い丘を設け防潮堤の役割を果たすようにするなどの高潮対策がとられたのです。
このように豊かな自然と都市とが調和したまちづくりを目指した葛西沖開発では、災害対策も考慮され、安心して安全に暮らせるまちづくりが行われました。

ご意見・ご感想は都市計画課調整係へ 電話:03-5662-6368

(注)隅田川河口の霊岸島水位観測所の零位を基準とした水位表記で、 Arakawa Peil の略

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