更新日:2023年7月10日
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パラリンピックとは
パラリンピックの歴史
障害者スポーツの世界最高峰の大会がパラリンピックです。パラリンピックはオリンピックと同様、4年に1度行われる障害者スポーツの世界的な祭典で、パラリンピックの原点となる大会はイギリスのストーク・マンデビル病院で行われたストーク・マンデビル競技大会とされています。当時、戦争で負傷した兵士のリハビリを兼ねて実施したこの競技大会が、後のパラリンピックに発展していきました。
この大会を開催したのは、ユダヤ人排斥運動によりイギリスに亡命した医師、ルードウィッフィ・グッドマン卿でした。グッドマン卿は「手術よりスポーツを」との考えをもとに、スポーツを治療に用いました。1948年7月29日、グッドマン卿はロンドンオリンピックの開催にあわせてストーク・マンデビル病院内で車いす患者によるアーチェリー競技大会を行いました。グッドマン卿はこのとき「この大会が真の国際大会となり、障害をもった選手たちのための、オリンピックと同等の大会になる」との展望を語っています。以後、この大会は毎年開催されるようになり、1952年には国際大会へ発展し「第1回 国際ストーク・マンデビル競技大会」が開催されました。
左:グッドマン卿 右:中村博士
1960年にイギリスをはじめ、オランダ・ベルギー・イタリア・フランスの5か国により「国際ストーク・マンデビル大会委員会」が設立され、グッドマン卿が初代会長に就任しました。これを契機に障害者スポーツ大会の国際化が推進されていきました。同年、ローマオリンピック後に23か国・参加者400名の「国際ストーク・マンデビル大会」が開催され、この大会は後に国際パラリンピック委員会(以下、IPC)によって「第1回 パラリンピック」に位置づけられました。
中村博士と2選手
国際ストーク・マンデビル大会入場門前
1962年、2年後の国際障害者スポーツ大会(IPC設立後、第2回パラリンピックと位置付けられた)の開催に向け準備委員会が設立され、その委員長に故葛西嘉資氏が就任しました。葛西会長は、当時グットマン卿に師事していた中村裕博士(社会福祉法人太陽の家の創設者)とともに大会開催の準備を進めました。両氏は東京大会を車いす使用者だけでなく、すべての身体障がい者が参加できる「国際身体障がい者スポーツ大会」として開催することを決意し、グットマン卿ら関係者に理解を求ました。その結果、 1964年に東京で「第2回パラリンピック」が開催されました。
この大会は、当初車いす使用者のみ参加が認められていた大会を、全ての身体障害者を参加対象にした先駆けといえる大会になりました。これ以降、様々な障害者がパラリンピックに参加する機会が増え、選手が公平に競技が行えるように、障害の程度でクラス分けを行うようになりました。そして現在では、一部の競技において知的障害者もパラリンピックに出場するまでになりました。
1964年 東京パラリンピックポスター
1964年東京パラリンピック選手宣誓
写真提供:社会福祉法人 太陽の家
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