更新日:2025年5月1日
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葛西沖 vol.2 世界に誇れる葛西沖へ
昭和の東京五輪と葛西沖
昭和39(1964)年に開催された東京オリンピックはアジア初のオリンピックで、その開催は東海道新幹線・首都高速道路の建設などと同様、戦後復興を象徴する出来事として日本国民に大きな感動をもたらしました。
その時代の葛西沖といえば、工場排水などにより海が汚れ、名産であった江戸前の魚介類の漁獲量が減り、漁業者の生活が苦しくなっていた頃です。そして、昭和37(1962)年12月、漁業権放棄により長い歴史を誇った葛西沖の漁業は途絶えてしまいました。
陸に目を向けると、葛西地区は河川により外部と分断していたこと、道路・鉄道の整備が進んでいないこと、さらに地下水のくみ上げによる地盤沈下があったことなどから、都心の近くでありながら都市化の波を受けていない土地が多くありました。その海岸線付近に、オリンピックをはじめとする高度経済成長期の建設ラッシュにより発生した大量の残土や産業廃棄物が捨てられるようになりました。その結果、悪臭が漂い、ハエやネズミのはびこる劣悪な環境となってしまったのです。
この葛西ごみ問題が発端となり、「葛西地区ゴミ公害追放住民総決起集会」が開かれ、地域一体となって追放運動に立ち向かうことになります。そして昭和45(1970)年、当時取り組んでいた土地区画整理事業を進めるに当たり、江戸川区と警察が連携して道路を封鎖することでごみ運搬車の搬入を防ぎ、また、ごみ捨て場にある建築物を撤去するため行政代執行(法的手段)を行うなど強硬手段を取ることで解決しました。
道路封鎖
令和の時代の葛西沖 世界に誇れる地に
前回の東京オリンピックから半世紀余。江戸川区も都市化が加速し、人口が増え、葛西地区にも都市化の波が訪れました。昭和41(1966)年に、土地区画整理事業を基本に据え、バランスの良い発展を目指す「江戸川区総合開発基本計画」が策定され、地域のまちづくりの機運が高まりました。
地元住民の組合による土地区画整理事業や東京都による葛西沖開発土地区画整理事業が次々と始まり、鉄道や道路などのインフラが整備され、現在の住みよい葛西地区の街並みの基礎ができました。
行政機関、地元住民などとの環境活動により葛西沖の水質もだんだんと改善され、自然の干潟を保全しつつ造られた葛西海浜公園では水生生物や鳥、そして浜辺で遊ぶ人の姿が多く見られるようになり、昔の姿を取り戻したかのようです。葛西沖は、平成30(2018)年にラムサール条約湿地へ登録され、今や世界に誇れる地となっています。
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