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更新日:2024年3月15日

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特集 校歌を歌う 校歌はうたう

CCBY 但し、画像データは除きます

小中併設校である葛西小学校と葛西中学校の合同式典(令和4年11月実施)での校歌斉唱

皆さんは卒業した小学校の校歌を今でも歌えますか?教室の窓から見える山、近隣を流れる川、あるいは地域の歴史が歌詞に織り込まれた校歌は、いつでも育ったまちのことを思い起こさせてくれます。コロナ禍が明けて初めて迎えるこの春には、卒業式・入学式などの式典で、子どもたちの歌う校歌が響き渡ることでしょう。区立小学校の校歌では、どんなもの、どんなメッセージがうたわれているのでしょうか。詳しく調べてみました。

川は荒川・江戸川、山は富士山と…?

すっかり暖かくなったこの時期、少しかすんだ空気の向こうに、キリっと雪化粧をした富士山が見えるとうれしくなりますね。日本を代表する山、富士山は、多くの校歌が作られた昭和の頃の江戸川区民にとっても、やはり親しみ深い山だったのでしょう。多くの学校の校歌に登場します。それから、北北東に望む筑波山をたたえる校歌も少なくありません。もちろん今日でも区内から筑波山が見えることに変わりはありませんが、建物が今よりももっと低かった時代には、晴れた日に遠くに見える筑波の山が今よりずっとなじみのある存在だったのではないでしょうか。

とはいえ、地理に関わる歌詞でこれらの山よりも圧倒的に目立つのは、やはり身近な“川”。区立小学校66校の校歌のうち約7割に荒川、江戸川をはじめ区内を流れるいずれかの川が現れます。

例えば、平井西小学校の歌詞には「ひろく流れる放水路」という歌詞があります“放水路”とは、荒川のこと。この呼び方からは、東京東部の治水を目的に約20年を費やして人の手で掘られた荒川の格別な存在感が伝わってきます。

東京の一番東

山や川とともに地理に関わってよく歌詞に登場する単語が「東」です。関東の地理に詳しくない方に江戸川区を紹介する時に、「東京の一番東の区だよ」という説明をする方は少なくないのでは。この“一番東”という感覚は、江戸川区民にとってのアイデンティティーの一つですね。

ではその江戸川区の中でもさらに最東端の東篠崎地区を学区に含む、篠崎第三小学校の歌詞を見てみると、「♪大東京でまっ先に 朝日をむかえるこのあたり」との歌い出し。“一番東”が高らかにアピールされています。

なお、先ほど荒川にまつわる歌詞を紹介しましたが、東端のさらに先にあるのはもう一つの大きな川、江戸川・旧江戸川です。篠崎第三小学校を含む篠崎地区や小岩・鹿骨地区などの新中川から東の学校の校歌には、その江戸川の情景を歌った歌詞がいくつも見られます。

平井西小学校 いつも希望の雲をうかべひろく流れる放水路♪(校歌1番より)


式典などで校歌を演奏するスクールバンドの6年生の皆さん

荒川放水路の広い土手は、たこ揚げや100メートル走の練習が思い切りできる、“もう一つの校庭”です!


小畑朋子(おばたともこ)教諭

式典やパレード向けのブラスバンド編曲では、全校児童がのびのび歌えるよう工夫しています。バンドメンバーも自信をもって吹けるので、練習で「次は校歌だよ!」と言うと、この笑顔です!

篠崎第三小学校 大東京でまっ先に朝日をむかえるこのあたり(校歌1番より)

左から新舟一輝(あらふねかずき)さん、渡邊一乃(わたなべいちの)さん、高橋憲世(たかはしけんせい)さん
(注)高橋さんの「高」ははしごだかです

東京23区の一番東にあって、太陽の光が真っ先に降り注ぐ小学校です。河川敷での江戸川区花火大会では、学区内にたくさんの鑑賞ポイントがあります


小宮裕美子(こみやゆみこ)教諭

付点音符や四分音符が効果的に用いられた活発なリズムは、『めだかの学校』などで知られる中田喜直(なかだよしなお)氏の作曲によるものです。周囲の自然や景観が織り込まれた自慢の校歌です!

歴史は古く奈良時代!

校歌の歌詞には、地理とともに、そこで暮らしてきた人々の歴史を感じさせるものもたくさんあります。

現在は高い建物が立ち並ぶ葛西地区。その中央付近にある第六葛西小学校の校歌2番は「♪このあたり蓮田 菜の花 海さえも青く寄せたと 時代の移るそのすがた」と始まります。かつて海沿いは漁村として栄え、陸地では農業が営まれていたこの地の歴史が読み取れます。

さらに悠久の歴史を感じさせるのが、上小岩第二小学校の校歌にある「♪甲和の里に昔をしのび」というフレーズ。

江戸川区は、1932年に七つの町・村が合併してできた区です。その一つ、小岩町の名の由来とされる地名が、歌詞にある「甲和」。付近の上小岩遺跡の調査結果は、弥生時代に人々がこの地で暮らし始めていたことを示しており、奈良時代の養老5年(721年)の戸籍にはすでに「甲和」の地名が登場しています。

1300年以上も昔の歴史が織り込まれた校歌なんて、なかなか見当たらないのではないでしょうか。

第六葛西小学校 このあたり蓮田菜の花海さえも青く寄せたと(校歌 2番より)


左から平良脩(たいらゆう)さん、松尾光夏(まつおこなつ)さん、沢風光輝(さわかぜみつき)さん

この辺りでは夏は田んぼでお米を作り、冬は海でノリを育て、「葛西海苔」を作っていたそうです


安部香菜(あべかなで)教諭

楽譜に「明るくしかし落ち着いて」と指示があり、元気に歌うだけでなく、歌詞の意味を味わいながら歌っています。明るい曲調でみんな大好きな校歌です

上小岩第二小学校 甲和の里に昔をしのび(校歌 2番より)


左から加賀谷優羽(かがやゆう)さん、原田湊介(はらだそうすけ)さん

「小岩」の地名は、この辺りが昔「甲和」という場所だったことが由来と考えられています。東大寺正倉院に保存された文書にも記載のある、歴史のある地名です


根本由佳(ねもとゆか)教諭

上がり調子のタッカターン、タン・タ・ターンとスキップのような小気味よいフレーズが繰り返して現れる、明るい気持ちになるメロディです

人と人を結ぶ力

さて、ここまで校歌の中での江戸川区の地理・歴史にまつわるフレーズに注目してきましたが、各校の校歌を眺めてみると、それら以外にも多くの校歌で使われている単語があることに気が付きます。

例えば「希望」、「平和」、「夢」―。区内の小学校の校歌の制定年は、太平洋戦争直後から昭和の終わりごろまでの40年間を中心に広く分布していますが、これらのキーワードは、そのうちのどの時期を見ても頻繁に用いられ、地理・歴史の要素と組み合わさって校歌を構成しています。

こうした校歌のスタイルについて、音楽科教員でもある葛西小学校・葛西中学校の内野雅晶(うちのまさあき)統括校長(下写真)は「いつの時代も、誰もが子どもたちの健やかな成長を願う気持ちに変わりはなく、その思いが“夢”や“希望”といった言葉に込もっているのでは」と話します。

「そうした明るい言葉と地域の特色をともに歌詞に込めて歌い継ぐことで、校歌は、児童・生徒同士だけでなく、卒業生や地域の方も含めて一つにするような“人と人を結ぶ力”を持つようになります。同窓会などで歌えば、どんなに時が経っていても懐かしい情景・懐かしい顔が浮かんでくるのは、まさに校歌の持つこのような力によるものでしょう」(内野統括校長)

春――。学校のそばを通れば校歌の歌声がよく聞こえてくる時期となりました。皆さんの心の中に響くのはどんな校歌ですか。その校歌がうたい、呼び起こしてくれるのはどんな情景ですか。どんな人たちの顔ですか。


内野統括校長。令和4年の葛西小学校・葛西中学校の合同式典(ページトップの写真)に向け、特別な編曲を行った際の有志練習会で指揮

江戸川区歌もぜひ歌ってみましょう

学校での式典に限らず区内の行事では、江戸川区歌が歌われる機会が多くあります。

1965年9月に制定された区歌。作詞は全国公募で寄せられた岡久美子(おかくみこ)さんによるもので、区の良き環境、職住近接のまち、良き住民性をたたえています。

一、風もみどりの 香にあけて
かがやく朝の 太陽に
空もいらかも 晴れわたる
希望の都市よ わがさとよ
ああ 江戸川はあこがれの
夢がたのしく わくところ

二、古き伝統 誇りつつ
時代をきずく 生産に
若い力が ほとばしる
伸びゆく都市よ わがさとよ
ああ 江戸川は躍進の
鐘高らかに なるところ

三、あすの栄えに 新しき
文化をかかげ とこしえに
自治と自由を もりあげる
平和な都市よ わがさとよ
ああ 江戸川は人の和の
花もあかるく 咲くところ

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このページはSDGs推進部広報課が担当しています。

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