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未来へのヒント

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メッセージを明確に伝えることが国際試合に不可欠

 日本人女性として初めて審判員としてFIFAワールドカップの舞台に立った山下良美さん。女子サッカー界のパイオニアとして、国内外で高い評価を受ける彼女の原動力に迫ります。サッカーを離れた高校時代、国際舞台での重圧の乗り越え方、そして溢れんばかりのサッカーへの情熱と審判の仕事への誇り。「目の前の目標を一つ一つ」と、常に上を目指し続ける山下さんの前向きな言葉は、私たちに勇気と希望を与えてくれるはずです。

山下さんのご経歴を教えてください。

 小さい頃から体を動かすのが好きで、4歳からサッカーを始めました。ずっとプレイヤーとしてサッカーを続けてきましたが、大学のサッカー部を卒業するころに、先輩の坊薗 真琴さん(現国際審判員)に誘われ、審判の道に進むことになりました。
 2013年に女子1級審判員として活動し、2019年には、国内男女すべての試合も対応できる1級審判員の資格を取得しました。2021年からJリーグの試合を主審として担当させていただいています。

共生社会の実現、“ともに、生きる”をスローガンに掲げている江戸川区。どんなイメージをお持ちですか。

 まず思いつくのが「江戸川区陸上競技場(現スピアーズえどりくフィールド)」と「都立大島小松川公園」。練習や試合で何度も足を運びましたし、すごく身近な存在です。実はえどりくは今でもトレーニングで使わせていただいています(笑)。

サッカーを始められたきっかけは?

楽しい思い出しかない――4歳から始めたサッカー

 兄がサッカーをやっていて、気づいたら一緒にボールを蹴り始めていましたね。私が本格的にサッカーを始めた当時は、女子プレイヤーはほぼいませんでした。小学生で初めて地元のサッカークラブに入る時は、女の子は一人もおらず、母親に聞いたところ、コーチはすごく心配してくれていたみたいです(笑)。ただ私の母も楽観的で、そういうことはあまり気にせず、チームに入れてくれました。途中から女の子がもう一人入ってきてくれましたが、周りの男の子も、その女の子も、性別をまったく気にせずにサッカーをただ楽しむタイプだったので、私もそういう仲間たちに導かれるように、サッカーを好きになりました。嫌な思い出が1つもないんです。本当に、コーチや仲間、周りの環境に恵まれていたな、と思います。

サッカーをここまで続けてこられた理由はなんですか。

 中学になると、女子のチームは急激に少なくなります。辞めてしまいがちなタイミングで、小学生の時にできた仲間たちと同じ女子サッカーチームに入って、続けることができたのは大きかったですね。
 実は高校ではバスケ部に入りました。“部活動”というものに強い憧れがあったんです。朝練から早弁して、夜までみんなで練習するような、そんな“部活”中心の青春時代を過ごすのが夢でした。しかし、このサッカーから離れた3年間が、サッカーをより好きになるきっかけであったように思えます。登下校の時、グラウンドと体育館の間を通るのですが、無意識にサッカーをやっているグラウンドの方に目がいくんです(笑)。「サッカーをやりたい」「サッカーが好き」という想いは日に日に強くなっていきました。

現在はJリーグの主審も務める山下さん。当初からその姿を思い描いていましたか。

 Jリーグが開幕した当時、私は小学校低学年でしたが、あの時興奮の中見ていた世界は当然のように男性だけでしたし、まさか今私が同じフィールド上にいるとは考えもしませんでした。「サッカーを仕事にしたい」と目指したわけでは決してないですが、4歳から成り行きでサッカーを始めたことも、バスケ部に入ったことも、なかば無理やり誘われて(笑)審判になったことも、すべてが上手く繋がって今があると思っています。
 プロフェッショナルレフェリー(PR)になる前は、フィットネスインストラクターとして体育施設で働いていました。施設には、モチベーション高く毎日トレーニングにくる人が多く、私も頑張らなきゃと強く刺激を受けましたね。

サッカーの審判において重要なことはなんでしょうか。

 1試合10㎞以上走るスタミナはもちろん、速さ、体と思考のアジリティ(俊敏性)、筋力、週1回以上の90分の試合で怪我無くコンディションを保つことなど、複合的な能力が必要です。また審判は、10㎞走る中で、正確な“判断”を下すことが求められます。息が切れているとその判断は鈍りますし、ダッシュしながらだと見落としもあります。先回りしていかに静止に近い状態でプレーを見られるか。そのフィジカルづくりとタイミングの計り方が基本だと思います。
 特に男子サッカーだと、スピードで勝つことは難しいですし、ましてやボールのスピードに追い付ける人などいません。“予測”が大切なんです。そのために私は試合前に、チームや選手の情報も頭にいれるようにしています。チームの戦術やその時の状況、前の試合の動き、選手の特徴や監督の方針などを理解することで、「次この選手はどう動くのか」「試合はどう動くのか」を予測することができます。

審判をする上で山下さんが心掛けていることはありますか。

審判に求められる複合的な高い能力と“予防”できる視野

 “予防”することです。審判の仕事は、起こった事象に対して笛やカードを出す部分が目につきやすいですが、それ以上に「事象が起こらないようにする」ことが重要だと思っています。ファウルしそうな場面で審判が目の前にいたらそのファウルは起こらないかもしれない。先にヒートアップした雰囲気を察知して声掛けをしていれば、カードがでるプレーは出ないかもしれない。その上でも、試合中も含めた事前の情報収集は重要ですね。
 あと、試合の“空気がかわる”ことにも審判が関わっていると思っています。逆転するときや流れが変わった瞬間ってフィールドにいると強く感じるんです。ポジティブな声かけが絶え間なくチーム内で起こっている。4人いる審判同士のコミュニケーションシステムでも、「空気変わりましたね」「くるかもしれない」と声かけがあったりします。空気感は勝敗につながることがありますし、審判員は間を物理的にあけて変えることができるので、ヒートアップしている時は笛を吹いて、空気を落ち着かせるきっかけにしたいと思っています。

Jリーグ初の女性審判員となられた山下さん。女性が少ない環境で苦労したことはありましたか。

女性の活躍も当たり前のスポーツ界へ

 実は、私自身は性別の差で困難や壁を感じることはほぼありませんでした。業界全体でいうと、環境整備や更衣室などのハード面は徐々に改善されていますが、差を感じない環境になるのは時間がかかることだなとは実感しています。
 周りの理解とお互いの気遣いが大切だと思いますし、私がフィールドに立つことが、少しでもスポーツ界での女性活躍の幅を広げることに繋がっていれば嬉しいです。
 もちろん、女性にとって“フィットネス”は一番大きな壁です。審判も男性の試合を担当する上では高い基準をクリアする必要があります。国際大会中に行われるトレーニングも、圧倒的に女性の方がハードに行っています。高い目標があるからこそ、モチベーションになりますし、それが継続できれば、女性が活躍できる可能性は非常に大きいと思います。

国際試合の経験もある山下さんですが、多言語の選手もいる中でコミュニケーションをどう図っていますか。

 審判としては、「メッセージを伝える」ことだけを考えています。基本的に審判は英語で行いますが、英語が分からない選手ももちろんいます。元々私も英語がほぼ話せない状況でした。表情、目線、ジェスチャー、姿勢、すべてを使って一番いい伝え方を模索していますね。国際審判員を見るとよりその表現力の高さに刺激を受けます。自分ではまだまだ表現力が足りていないと思っているので、他の審判員の表現を観たり、自分の試合を振り返って周りにアドバイスをもらったりもしています。

多種多様な人とコミュニケーションをとるポイントはどこにあると思いますか。

同じゴールがあるからこそ共生できる

 国際審判員は全世界から集い、ワールドカップ大会に臨むにも約3年前から一つの審判チームが編成され活動します。私のチームでは「Reach Higher(さらなる高みへ)」というスローガンを掲げていました。そのスローガンが何をするにも頭にあったように思います。一人でトレーニングしていても、世界のどこかで同じくより高みを目指す仲間がいることが強い励みになっていました。
 そういうスローガンのような、同じ目標を持つことは、共生社会を実現する上で重要ではないかと実感しています。サッカーの競技規則は「安全・公平・楽しみ」という軸の上で成り立っています。審判の目指すところ(理念)が明確にあることは、多種多様な人と同じスポーツをする上で非常に重要だと思いますね。

最後に、山下さんのように新しい道を切り開きながら挑戦している方々に向けてメッセージがあればお願いします。

 私自身、今思ってもみなかった舞台に立たせていただいていて、正直驚いています。可能性や限界は自分で決めちゃいけないんだ、と強く感じますね。それは性別だけに限りません。「こんなに速く走れるようになるわけない」などと自分の能力を諦めないで、前に向かっていくマインドが重要だと思います。そのためにも達成できる目標を細かく立てていくのがいいと思いますね。私も今の目標は次の1試合なんです。目の前の1試合をより良いパフォーマンスで終えられるか。その積み重ねが大切だと思います。

プロフィール

朴璐美

山下良美(やました・よしみ)

1986年東京都生まれ。
2013年に日本サッカー協会(JFA)認定の「女子1級審判員(※現在の1級審判員)」資格を取得すると、2015年には国際サッカー連盟(FIFA)の「国際審判員」に登録。2019年、2023年にはFIFA 女子ワールドカップに2大会連続で選出された。また2021年にJリーグ史上初めて女性審判員として主審を務めたほか、2022年にカタールで行われたFIFAワールドカップや、2024年のパリオリンピックでは、女性審判員として男子の試合の主審を務めるなど活躍中。現在はプロフェッショナルレフェリー(PR)として自身のレベルアップを図りながら、日本の審判界全体のレベル向上に日々励んでいる。