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更新日:2021年4月30日

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2021年(令和3年)4月30日 後世へ伝える「葛西沖の歴史」刊行

“都内初「ラムサール条約湿地」登録に至った半世紀にわたる歩みを記録”

都内で初めて「ラムサール条約湿地」登録された都立葛西海浜公園(江戸川区臨海町6丁目地先)を始めとして、都市空間と共存した自然豊かな海が広がる葛西沖。一度は失った自然豊かな海を取り戻したいという先人達の情熱と努力を後世へ伝えようと、一冊の本にまとめた『葛西沖の歴史』(A4判/全195頁)を刊行しました。

江戸川区南部に位置する葛西では、1972年から東京都による埋め立て事業及び土地区画整理事業が行われ、今の清新町及び臨海町が造成されるとともに、都立葛西臨海公園及び海浜公園などが整備されました。かつては「葛西浦」とも呼ばれた遠浅の海には、三枚洲を中心とした恵まれた漁場環境があり、アサリやハマグリ、海苔の養殖が盛んに行われ、当時の人々は蓮根の栽培とともに半農半漁の暮らしを営んでいました。一方、キティ台風による高潮を始めとして、度重なる水禍に悩まされてきました。1957年に葛西海岸堤防が造成されても抜本的な対策とは言い難いばかりか、生活の糧としてきた海との繋がりを閉ざさざるを得なくなります。さらに同時期、生活・工場排水の流出による水質汚濁が生じ、地下水の汲み上げによる地盤低下が続きました。1962年には漁業権の放棄に至り、葛西沖の漁業の歴史は一つの転換点を迎えることになります。それでも1970年頃に発生した3つの環境に対する課題を行政と区民が一体となって乗り越えるなど、葛西の地と海を守りたいと思う気持ちに変わりはありませんでした。葛西沖の開発と併せて、暮らしやすいまちを目指した住民主体による葛西地区の土地区画整理事業も行われ、その開発面積は約956ヘクタールに及びます。そして、広大な近代都市の創出とともに、一度は失われた自然豊かな海を取り戻した結果、水鳥が降り立つ区民憩いの場に。2018年には都内で初めて国際的に重要な湿地を保全する「ラムサール条約湿地」に登録され、開発が生んだ自然と都市の共生のかたちは、今や世界に誇れるかけがえのないものになっています。

区は、苦難の道を切り開いてきた先人たちの思いを受け継ぎ次の世代へと活かそうと、「『葛西沖の歴史』作成に係る編集委員会(委員長:淺川賢次・都市開発部参与)」を平成30年5月に立ち上げ。関連資料の編纂とともに、当時の関係者へのインタビューを経て、本年3月に刊行しました。

『葛西沖の歴史』は、これまで区の通史では十分に描き切れなかった葛西沖開発に係る経緯やその特徴を、写真や地図をふんだんに使用しながら分かりやすく紹介。三部構成となっており、第一部「葛西の海の物語」では、水質汚染や地盤低下によって失った海とのつながりを取り戻すまでの歴史的な背景を概観しています。続く第二部「葛西の魅力再生と近代化への挑戦」では、産業、防災、交通、観光・交通など7つのテーマに沿ってその詳細を解説しています。最後の第三部では「葛西の海とわたし」と題して、漁業者、地権者、開発事業者、行政の立場で当該事業に携わった当事者の思いを掲載。当時、貝の加工工場を経営し、葛西沖開発後は町会・自治会の活動に力を注いだ西野博氏は、新旧住民の心をつなぐことが肝要だったと述べています。

区都市開発部参与の浅川委員長は「都心にほど近い場所に近代都市への礎を築き、自然豊かな海をよみがえらせた先人たちの歩みは、区民にとっての誇りであり、後世に残していかなければならない。まちづくりに携わる全ての人にも読んでほしい」と話しています。なお1,200部作成して、区民館や図書館などに閲覧用として配置。区ホームページにも掲載しています。

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