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更新日:2019年1月31日

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宮城のばっちゃんが語る東日本大震災

三度の大津波経験者がズーズー弁で語る

写真:講演を聞く児童

東日本大震災から4年。松江小学校では、5年生86名を対象に「地震と津波」をテーマとした授業が行われ、東日本大震災時に宮城県南三陸町で被災し、その後区内に一時避難をしていた菅原幸子さんが地震発生時の状況や避難所での生活などの震災談をズーズー弁で語りました。
今回、総合的な学習の時間を利用して授業が行われた松江小学校は、平成24年の改築により災害に強い学校施設として整備され、災害対策の授業にも力を入れている学校です。同校は、昨年の3月まで菅原さんの姪孫が通っていたこともあり、菅原さんが一時避難でお世話になった地域の皆さんに恩返しをしたいという思いから、今回実現に至りました。
菅原さんは、リアス式海岸の広がる海の恵み豊かな宮城県志津川町(現:南三陸町)で生まれ育ち、これまで三度の大津波を経験しています。初めに大津波を経験したのは、昭和8年に発生した昭和三陸地震。地震の発生に伴い生じた津波の高さは三陸沖で最大23メートル。当時、生まれてひと月も経っていない菅原さんを抱きかかえて逃げた母親のおかげで助かりました。二度目は、昭和35年にチリ南部で発生したチリ地震。平均時速750キロメートルで太平洋を横断してきた大津波は、本震から22時間が経過したのち三陸沖に到達。当時、妊娠8ヶ月だった菅原さんは、大きなお腹を抱えて高台に逃げ命拾いをしました。

写真:子どもたちに話をする菅原さん

そして、平成23年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震では、大津波により家屋を失い、避難所となった自宅近くの小学校で18日間生活した後、江戸川区にある実弟の自宅で3ヶ月ほど過ごし、現在は南三陸町にある仮設住宅で生活をしています。
授業では、地震発生時の状況や避難所での様子などを地元の「ズーズー弁」で説明。本震後に町の防災無線放送で津波が迫っていることを知り、足の踏み場もない部屋の中から夫の位牌を持って外に飛び出したときの危機迫った状況や道のない急勾配の杉山を登って逃げたこと、避難所で18日間ともに生活をした90歳の女性との出会い、現在仮設住宅に住む仲間との暮らしぶりなどを時折涙ながらに語りました。また、最後は、防災の教訓として志津川地区に伝わる「命てんでんこ※」について説明が行われ、災害時は誰かと待ち合わせをせず、先ずは自分の命を守るために一人で安全な場所に避難することの重要性を伝えました。講話を終えた後は、菅原さんが仮設住宅に住む踊りの講師から習った復興応援ソング「花は咲く」を児童たちと一緒に合唱し、交流を深めました。
授業に参加した児童は、「命てんでんこの話は聞いたことがあります。東京もいつ大きな災害が起こるか分かりませんので、今日聞いた話や命てんでんこを忘れず非常時に備えたいと思います。」と話していました。

※命てんでんこ:災害時には、家族や友人などを気遣う前に自分の命を守ることを最優先に考え、各自てんでばらばらに一人で安全な場所へ避難すること。

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