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平成24・25年度江戸川区指定文化財

更新日:2014年5月13日

 下記が新たに江戸川区の文化財に加わりました

紙本著色黄檗宗祖師像(しほんちゃくしょくおうばくしゅうそしぞう)

江戸川区指定有形文化財・絵画
松本1丁目9番14号 寿昌院

江戸に進出・定着した黄檗宗の高僧画像三幅が揃う江戸時代初期頂相の稀有な作例である。

紙本著色隠元隆き像(しほんちゃくしょくいんげんりゅうきぞう)("き"は王へんに奇)

 江戸時代(17世紀)の製作。隠元隆き(いんげんりゅうき)(1592〜1673)自讃、喜多元規(きたげんき)(17世紀後半の黄檗派の画家、生没年不詳)の筆による頂相画(ちんぞうが)です。晩年の宗祖の相貌を克明に写した作例として貴重です。隠元は中国明の僧侶で、黄檗宗の開祖です。
 承応(じょうおう)3年(1654)渡来して長崎の興福寺に住し、翌年崇福寺に住しました。万治(まんじ)元年(1658)参府登城して徳川家綱に謁し、日本永住を決意。幕府より山城宇治(やましろうじ)に寺地を賜り、万福寺(まんぷくじ)を開創しました。延宝(えんぽう)元年(1673)没。
 隠元の書は、弟子木庵・即非(そくひ)の書とともに「隠木即」(黄檗三筆)とよばれて煎茶の茶掛けに珍重されました。

紙本著色木庵性とう像(しほんちゃくしょくもくあんしょうとうぞう)("とう"は王へんにヨウ)

 明暦(めいれき)3年(1657)2月15日の年紀をもつ、木庵性とう(もくあんしょうとう)(1611〜1684)自讃、喜多道矩(きたどうく)(17世紀後半の黄檗派の画家、?〜1663)の筆による頂相画(ちんぞうが)です。木庵性とう(もくあんしょうとう)は中国明の僧侶で、隠元の印可(いんか)をうけたのち、隠元の招きで明暦(めいれき)元年(1655)長崎に渡来、福済寺に住しました。のちに隠元の万福寺(まんぷくじ)開創に助力、隠元没後、住持を継いで、万福寺2代目となります。国内20余か寺の開山となり、延宝8年(1680)退隠、貞享(じょうきょう)元年(1684)没、曲ろく(きょくろく)に坐した木庵が有髪に描かれています。

紙本著色天海龍像(しほんちゃくしょくてんかいりゅうぞう)

 江戸時代(17世紀)製作。寿昌院開山天海道龍の頂相画です。
天海は、黄檗宗4世独湛性瑩(どくたんしょうけい)(明僧、1628〜1706、瑞聖寺開山−港区白金)の嗣法(しほう)とされ、『江戸川区史』では「天海道竜和尚」と記されています。貞享元年(1684)に池田氏室寿昌弾尼(じゅしょうぜんに)によって建立された寿昌庵の開山となっています。元禄12年(1699)天海老和尚の自讃を代筆したことが讃文により知られ、当区における黄檗宗の歴史を伝える重要な資料です。

機種依存文字はひらがなで表記しています。

ゆかた染(長板中形)江戸川区指定無形文化財・工芸技術の保持者の認定

保持者 松原孝司・松原忠

 長板中形は、三間半の長い張り板に生地を貼り、これに順次型紙を送り繋いで防染糊を型付けし、天然藍の染め液い浸して染める技法です。
重要無形文化財保持者(人間国宝)松原定吉氏の一貫生産の技術を受け継いでいます。

江戸川区指定無形文化財・工芸技術への種別変更

江戸川区登録無形文化財であった下記の工芸技術を江戸川区指定無形文化財に種別を変更しました。

ゆかた染(長板中形) 保持者 松原與七

風鈴 保持者 篠原儀治・篠原裕

切子 保持者 澤倉剛二

パイスケ 保持者 大野勝見

問い合わせ先

このページは教育委員会事務局 教育推進課が担当しています。

本文ここまで


以下フッターです。

江戸川区役所

〒132-8501 東京都江戸川区中央一丁目4番1号 電話 03-3652-1151(代表)区役所へのアクセス

開庁時間

月曜日から金曜日の午前8時30分から午後5時(祝日・休日、12月29日から1月3日を除く)
※部署、施設によっては、開庁・開館の日・時間が異なるところがあります。

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