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鶴岡への学童疎開 「山疎会」メンバーらが母校で体験講話

更新日:2018年2月26日

東京大空襲から73年 平和の尊さや命の大切さを語り継ぐ

 一夜にして約10万人が犠牲となったされる東京大空襲。東京大空襲から73年となる3月10日を前に、太平洋戦争時に鶴岡市への集団学童疎開を経験した「山疎会」のメンバー4人は今月22日、母校である区立第三葛西小学校で講話を行い、平和の尊さや命の大切さを語り継ぎました。
 戦況の悪化とともに本土攻撃の危機が迫る中、江戸川区では昭和19年8月、国民学校24校の児童らの集団疎開を開始。翌20年8月までに計5,000人を超える児童が山形県内の旅館や寺院など数十カ所に分散して疎開しました。疎開先では、食糧事情の悪化により物資調達などで苦心することが多かったものの、戦後は疎開児らが学校単位や宿舎単位で団体を結成。区内でも16団体が発会し各地域で疎開先との交流が行われるようになりました。
 「山疎会」は、太平洋戦争時に鶴岡市へ疎開した第三葛西国民学校(現「第三葛西小学校」)の卒業生らにより結成された団体。疎開中に鶴岡市の地元住民から親身な世話を受けた恩義に報いようと昭和29年に結成されたもので、戦後疎開先への訪問を繰り返しながら鶴岡市民との交流を図るとともに、後世に語り継ぐ活動なども行っています。
 同校で講話を行ったのは、山疎会会長の新見 清(82歳)さんと同会のメンバー・斎藤幸子(85歳)さん、野口昭夫(84歳)さん、中島敏夫(81歳)さんの4名。いずれも在学時に鶴岡市への集団学童疎開を経験しており、野口さんを除く3名は昭和20年3月の東京大空襲も経験しています。メンバーらは、初めに「山疎会集会」と題した児童会主催の全校集会で疎開先での思い出などを話した後、続いて3年生の教室に移動し、2クラス・77名を対象とした授業を各クラスで実施。サツマイモや漬物などで空腹を凌いだ疎開先での食事の様子をはじめ、疎開先の学校で一冊の教科書を複数名で使用しながら受けた授業のこと、東北の冬場の厳しい寒さの中、わら靴で過ごした思い出など、パネルを用いて当時の暮らしぶりを振り返りながら語りました。また、地元葛西の当時の様子や戦後に広がりを見せた疎開先との交流についても説明。幼い頃、親元を離れて寂しい思いをした一方、そこで感じた疎開先の人々の温もりに対する感謝の気持ちを口にしながら、平和の尊さや命の大切さを次代に伝えました。
 メンバーらは「疎開がご縁でいろいろな方との付き合いができた。子どもたちには、相手の優しい気持ちや我々の感謝の気持ちを伝えながら、今の友達との良い縁を大切にしながら頑張ってもらいたい」と話しています。

問い合わせ先

このページは経営企画部 広報課が担当しています。

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